スポーツの可能性をさらに拡張する「スポーツDX」の未来\

Chamber 60
2021.12.13

スポーツの可能性をさらに拡張する「スポーツDX」の未来

ビジネス分野で耳にすることが多いDX(デジタルトランスフォーメーション)ですが、今、スポーツの世界にもDXの波が到来しています。スポーツにおけるDXは、選手や指導者、あるいはスポーツを楽しむあらゆる人々のスポーツの向き合い方にどのような変化をもたらしているのでしょうか。スポーツDXがもたらす可能性について、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授の神武直彦氏にお話を聞きました。

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――神武先生のこれまでのご経歴や現在の研究テーマについて教えていただけますか。

「ある目的を実現するために、複数の分野にまたがる総合的なアプローチを通じて、ゴールを目指す考え方や手法のことを“システムズエンジニアリング”と言うのですが、私はそうしたシステムズエンジニアリングの教育研究や産業界への適用に取り組んでいます。

元々は宇宙航空研究開発機構(JAXA)で働いていたのですが、2009年に慶應義塾大学に移り、教育や研究を始めました。その際に宇宙以外の領域で新たなテーマとして選んだのがスポーツ領域でした。

私が所属する慶應義塾大学のラグビー部は1899年に創部された日本最古のラグビーチームであり、長い歴史を持っています。しかし、慶應義塾大学にはスポーツ推薦のような制度が存在しないため、ラグビーに秀でた学生に特別に入学を許可するということはなく、入学試験や一貫教育校から推薦を得て入学する学生を大学4年間を通じて育成する必要があります。元々能力が高い学生を発掘し、チームに迎え入れるという意味では他校と比べて大きなハンデがあるため、いかに効果的な育成を行うかを考えた時に、テクノロジーやデータの活用は手段として大いに役立ちます」

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――神武先生が携わっているスポーツDXの事例として、具体的にどのようなものがありますか?

「例えば、選手が背中の肩甲骨あたりにGPS受信機を装着して練習や試合をすることで、その時の総走行距離や速度、ダッシュ回数などを計測することができますので、運動量や身体への負荷、また、チームプレーにおける判断内容などを分析することができます。また、心拍数などを計測することができる別のセンサーをつけることで、さらに把握できることが増えます。

スポーツ選手のケガの大きな要因のひとつは、疲労や過度な負荷です。特に試合の時には、選手は日ごろの練習以上に頑張りますから、ケガのリスクも自ずと増えていきます。そこで、毎日の練習から選手の運動量などのデータを収集して、負荷がかかりすぎていないか、試合でどれくらいのパフォーマンスが期待できそうか、分析を行うわけです。疲労が溜まっている選手は早めに休ませ、よりパフォーマンスが出せそうな選手には適切な負荷をかける。こうしたデータの収集・分析・活用を始めたあるチームでは選手の肉離れなどによるケガが3割程度減少しました。試合当日にベストな力が発揮できるよう調整することを「ピーキング」と言いますが、選手一人ひとりに合わせたピーキングも可能になっています。

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映像データと位置データを統合分析するスポーツ分析プラットフォーム(画像提供:慶應義塾大学)

2019年に開催されたラグビーワールドカップで、日本代表がさまざまな強豪に勝利したことが話題になりましたが、これにもデータ分析の裏付けがあります。相手のチームの選手が、過去の試合で1試合につきどれだけの運動量があったのかを分析し、日本代表が勝つために必要な運動量などを算出。それにもとづく個々の選手に応じたトレーニングを実施していたのです。

プロ選手だけでなく、学生の部活においても多様かつ高度なデータ活用ができるようになった背景には、テクノロジーの高機能化とコモディティ化があります。これまでは高価だった機材が入手しやすくなり、ナショナルチームなどのトップ層しか扱えなかったデータが、学生の部活でも扱えるようになっているのです。小学校の時から、子どもたちがユニフォームと同じように専用デバイスを一人一台ずつ手にする、という時代も近いかもしれません」

――テクノロジーやデータの活用が、スポーツ領域においてより身近なものになってきているのですね。

「私は慶應義塾大学野球部のアドバイザーも仰せ使っているのですが、部員には野球をこれまでやったことがないけれど、データ分析でチームに貢献したいから、という動機でアナリストとして入部してきた学生もいます。その影響もあって選手のデータリテラシーも高まりつつあり、データを自身の行動変容につなげたり、ケガへの予防意識を高めたりといった選手も増えています。

ただ、そうしたデータ分析の結果をうまく活用できる指導者がまだまだ少ない現状もあります。アナリストなどのデータの収集・分析を行う専門家とはまた別に、データを練習や育成にうまく取り入れることのできる指導者を育てる必要があります。これからのスポーツ界に必要なのは、得られたデータをもとにチームの課題を解決するためのシナリオを作り、的確なコーチングができる人材。また、データをインフォメーション(情報)へ、そしてインテリジェンス(知恵)へと変えることのできる人材だと思います」

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写真左下:スポーツ用GPS受信機(画像提供:株式会社デジタリスト)

――スポーツDXによってもたらされるメリットには、他にどのようなものがあると考えていますか?

「スポーツ教育においても、スポーツDXはさまざまなメリットを生むと考えています。

例えば、幼年時にありがちな“早生まれ問題”。同学年でも、4月生まれと3月生まれの子では、身体的な成長の差が大きく、早生まれの子はスポーツでは不利になりがちです。体育や運動会などでいつもビリになってしまい、スポーツ嫌いになるケースも少なくありません。

データを収集することで、そこに別の評価軸を導入する。例えば、単純な順位などの比較ではなく、1年前の自分のデータと比較してどれだけ成長したか“伸び率”を評価してあげるわけです。そうしたことが子どもたちの自己肯定感を高め、スポーツや体を動かすことの本質的な楽しさを知ることにもつながるかもしれません。

もう一つは、俯瞰的な視点で物事を考える力の育成。例えば、ラグビーの練習で子どもたちにボールを持たせて鬼ごっこをやらせると、最初は足の速い子が独走して勝つことが多いです。しかし、その様子をドローンで上空から撮影して子どもたちに見せると、独走を止めるために3人並んで壁をつくろう、などと自分たちで工夫を始めます。勝つためにチームに何が必要か考えるマインドに切り替わり、チーム内での対話やコミュニケーションが生まれるきっかけにもなるわけです。

ある小学校でサッカーをやったとき、子どもたちにGPSを装着して、試合中のデータを取りました。前日にサッカー日本代表の試合があったので、代表選手がトップスピードで走っていた時間の割合を子どもたちと比較したのです。◯◯くんは日本代表のあの選手よりよく走っているね、などとみんなで結果を見るとすごく盛り上がって、子どもたちの練習への意識が高まったこともありました」

――スポーツDXが進むことで、スポーツの楽しみ方や関わり方の幅もこれまでよりぐっと広がりそうですね。

「スポーツや体育を通じてテクノロジーやデータに触れる機会が身近なものになれば、そうした分野に興味を持つ子どもの数も増えていくのではないでしょうか。勉強はあまり好きではないけれどスポーツは好き、という子どもはたくさんいると思います。そうした子どもたちがスポーツを通じて、科学や計算が好きになることだってあるかもしれません。逆も然りで、勉強は好きだけれどスポーツは苦手という子どもが、スポーツに積極的に興味を持つケースだってあるかもしれない。

そうした興味関心がきっかけとなって、将来的にさまざまな分野でデータやテクノロジーを効果的に活用するDX人材も増えていけばいいな、と感じています。スポーツDXで養われた経験や思考は、他のビジネス分野などにも必ず活かせるはずです。チームの課題を解決するために未来を予測し、リスクを抑制し、可能性を伸ばす。そうした基本的な視点は、さまざまな分野に共通する思考ですから」

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――今後、スポーツDXをさらに発展させていく上で、機材の開発やテクノロジーを提供する企業側に期待することはありますか?

「スポーツDXのしっかりした市場を作ることは、非常に大切だと思います。単にデバイスを提供するだけでなく、それを使ったライフスタイルまで提案できれば、市場拡大にもつながっていくはずです。例えば子どもの最初のコーチとなるのはお父さん、というケースは非常に多いので、親世代も巻き込んだスポーツDXの市場作りなどができれば、おもしろいですね。ソニーも「ホークアイ(Hawk-Eye)」という審判補助システムを提供されていますが、そういった製品を「ホークアイfor キッズ」と、子どもや学生向けにカスタマイズして提供するといったことも理論的にはできると思います。

そのようにしてスポーツDXのユーザー層が広がり市場も拡大すれば、テクノロジーが一般化して、システムやデバイスはより安価なものになります。分析の土台となるデータ量が増えることで、より精度の高いケガ予防やパフォーマンス向上も実現できるでしょう。スポーツDXの市場が広がることで、スポーツ全体の未来に資する影響は非常に大きいと感じています」

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選手のケガ予防やプレーの精度向上はもちろん、私たちのスポーツへの携わり方・関わり方そのものをより多様なものにしてくれる可能性を秘めたスポーツDX。テクノロジーが今よりさらに有効活用されることで、私たちの“スポーツ観”がアップデートされる日も近づいているのかもしれません。

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神武 直彦

慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科 教授

宇宙開発事業団(NASDA)、宇宙航空研究開発機構(JAXA)、欧州宇宙機関を経て、2009年より慶應義塾大学にてシステムズエンジニアリングに関する教育研究に従事。現在、慶應義塾横浜初等部の部長(校長)も務める。

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