
スポーツフォトグラファー 田沼武男氏×α
「肉眼では捉えきれない勝負の一瞬を、
αは無限のドラマにしてくれた。」
スポーツフォトグラファーとして様々な経験と実績を積み上げてきた田沼武男氏。数々の名場面でトップアスリートたちの真剣な眼差しや表情を切り取ってきた彼の写真は躍動感に満ちている。田沼氏がαを選び、その作品を通じて、伝えていきたいものとは、何なのか。その穏やかな人柄の奥底にある、熱い想いをお聞きした。

田沼 武男 TAKEO TANUMA
1952年名古屋生まれ 慶応義塾大学卒業
1977年テニス専門の写真家として活動を開始。
1984年ロサンゼルスオリンピックでの撮影を契機として、以降テニス、ゴルフ、サッカー、野球、ボクシング、ヨット、アウトドアスポーツ、F1・二輪世界GPをはじめとするモータースポーツなど数多くのスポーツシーンを取材。近年はスポーツ以外にも分野を広げている。
多数の写真集を発行、写真展の開催をはじめ、米国タイム社の「Sports Illustrated」、仏テニスマガジン社「Tennis」、仏Copyright Co.,Ltd『Roland
Garros』、日本文化出版「テニスクラシック」、文藝春秋社「Number」、小学館「週刊ポスト」、講談社「週刊現代」などに作品発表している。
ITF(International Tennis Federation) メディアコミッションメンバー
ITPA( International Tennis Photographers Association)コミッティーメンバー
活動の概要
- 1981年
- 『132枚のドラマ』 日本文化出版刊
- 1985年
- 『突きさすように』 日本文化出版刊
- 1987年
- 『THE ULTIMATE』 CBSソニー出版刊 『BEAT』 CBSソニー出版刊
- 1989年
- 『ル・マンの夢』 CBSソニー出版刊
- 1991年
- 『EMOTION・a day in the circuit』東京三世社出版刊
『F1グランプリ』 小峰書店刊
『FORMURA 1』 英知出版刊 - 1992年
- 『F1』 サンリオ出版刊
- 1997年
- 『DATE』 文藝春秋出版刊
- 2000年
- 『ニッポンチャレンジ アメリカズカップ2000』 東京ニュース通信社刊
『EMOTION』-NIPPON CHALLENGE AMERICA’S CUP 2000(CD-ROM)
TAKEO TANUMA PHOTOGRAPHY - 2001年
- 『EMOTION』ヨシムラ(CD-ROM)YOSHIMURA JAPAN Co.,Ltd
- 2004年
- 「GRAND SLAM」 実業之日本社刊
- 2008年
- 「TOKYO CITY VIEW」 森ビル刊
- 2010年
- 「KAYAMA YUZO 50th ANNIVERSARY」 近代映画社刊
そのとき母は泣いていた。
だが失敗するとは思わなかった
もともと私はテニスをやっていて、学生時代はプロテニスプレイヤーを志した選手でした。しかし、残念ながらプロにはなれなかった。それでも自分が魅了されたテニスに関わる仕事をしたいとずっと思っていました。
そういう思いを抱えながら一度はサラリーマンになりました。そのまま普通にサラリーマンとして働く選択肢も、もちろんあったでしょう。でも、私の中に燻(くすぶ)り続けた熱い想いがそれを許さなかったのです。
あるときテニスの雑誌を見ていて思うことがあったのです。
「自分だったら、もっとこういう写真が見たい。」と。
自分はテニスに魅了され、誰よりテニスを近くで見てきました。感動の瞬間は胸に焼き付いているし、選手の熱い眼差しは脳裏に鮮明に残っている。自ら体感してきたからこそ、もっと溢(あふ)れんばかりの現場の迫力を、選手の鼓動まで聞こえるような緊張感を読者に伝えたい、と感じました。
私は写真学校を出たわけでもないし、カメラを触ったことすらもありませんでしたが、撮りたいシーンや伝えたい場面は山ほどあったので、「この道ならやれるのでは」という強い自信がありました。手始めに当時フィルムカメラを買い、学生の試合を撮影し始めたのですが、すぐにのめり込みました。撮影することも楽しかったですし、何より大好きなテニスと直接関われる仕事はやはり嬉しかった。
そのような感じだったので、この道で勝負すると決断するのに長い時間はかかりませんでした。そして会社を辞めてアメリカで勝負することにしたのです。
とはいえ、家族は当然のように猛反対でしたね。有名大学を出させてもらって、大手の企業にも勤めることができたのに、それが「会社を辞めて海外へ行き、カメラマンになります。」と言うのですからね。母は泣いていました。ただ「申し訳ないな」とは思いましたが、不思議と失敗するとは思いませんでした。根拠などは全くありませんでしたがね 笑。

世紀の番狂わせ、
私は夢中でシャッターを切った
アメリカに渡ってからは車で寝泊まりしながら撮影し、撮った写真を売り込んでいました。実戦の中、自己流で試行錯誤を繰り返しながら写真を撮り続け、少しずつテニス雑誌にも掲載してもらえるようになりました。そして次第にテニス以外のスポーツも撮影するようになっていったのです。
当時、アメリカで最も有名なスポーツ週刊誌で働くのが多くの同業者にとって憧れでしたが、私もその例に漏れず「いつかは自分の写真もそのような場所に掲載されたい」と思っていました。
私が自分の写真を雑誌社に何度も持ち込んだ結果、ある日「写真を見たいのでポートフォリオを持ってきてくれ」と連絡があったのです。私は急いでニューヨークへ飛び、そこで各セクションのピクチャーエディターのチーフにそれぞれ写真を見せました。延べ6時間にも渡る長い時間でしたが、その甲斐あって、ちょいちょい仕事の依頼が来るようになりました。
転機となったのは日本でのボクシングの試合でした。世界的なスーパースターの一戦でしたが圧倒的な力の差があったため、下馬評ではワンサイドゲームの様相を呈していました。そのため世界的な注目度はさほどなく、場所も日本とあって私に依頼が来ました。
私は7台のカメラを用意しそこに臨んだのですが、そこで驚くべく事が起こったのです。圧倒的優位と見られていたボクサーが、まさかのKO負け。私の50cm目の前で倒れたのです。私は夢中でシャッターを切りました。
試合が終わるや否や、私のもとに「すぐにフィルムを持ってこい!」と連絡が入りました。そしてこの出来事は世紀の番狂わせとして私の写真とともに大きく掲載され、世界中に大ニュースとして報じられたのです。これは私にとってとても印象深い出来事です。それからはテニス以外の種目でも「スポーツフォトグラファー」として世界中で撮影をする日々が続き、F1、バイク、ヨット、テニスなどなど、一番多いときは年間で10ヶ月は撮影で海外にいましたので、楽しいながらも、なかなか過酷な職業だと思います。
そのように世界中を渡り歩いていると、国籍を問わず仲間も増えますが、世界的なスポーツ報道写真家として活躍しているボブ・マーティンなども撮影を通じ自然と仲良くなりました。彼とは今でも一緒にご飯を食べる仲です。
αとの出会い、
そして私がαを選んだ理由
私はもともと一眼レフを使っていて、ミラーレスはまったく知りませんでした。カメラの構造とかはあまり興味ないし、自分の手のように動き、思い描いたものが撮れればそれでいい、そう思っていました。そんなある日、とあるテニスの大会でソニーが当時フルサイズミラーレスの新製品だったα9の貸し出しを行っていました。
最初は軽い気持ちで使ってみましたが、すぐに「これは凄い」と思いました。今まで使っていたものとは全く違う、言うなればフィルムからデジタルに変わったときのような衝撃を覚えました。そしてそれは何者なのか、“ミラーレス”というものが何なのかをきっちり調べました。調べれば調べるほど、「使ってみたい」という思いが頭を埋め尽くしました。
再びそれを手にし、色々と試してみました。使えば使うほど「これはとんでもない」と再実感しました。AF、連写、といった性能はすべてにおいて革命的、スピードから精度まで桁違いで、その上驚くほど軽く小さい。そしてそれだけでなく画質も良かったです。センサーの良さもあるのでしょうが、ボディ側の手ブレ補正に加え、ミラーショックの無い機構は物理的にも良くなる訳です。
広いAF範囲は全く新しい概念で写真が撮れることを意味する。フレーミングは自分にとって絵を描くのと一緒で、自分の意思が大事。勝負の緊迫感を物語る真剣な眼差しも、激しい動きに追随するαの瞳AFなら簡単に撮れる。ブラックアウトフリーで最高約20コマ/秒の高速連写は眼に光が当たった決定的瞬間を切り取った。
このようなシーンではAF精度とスピードがモノをいう。これまでならボールにAFが食いついてしまったり、サンバイザーにピントがあったりしてしまうところだが、高速連写でも瞳にしっかりピントが合い続けていた。ファームアップで進化したα9のリアルタイムトラッキングやリアルタイム瞳AFの性能の高さはこれまでのAFの常識を覆した。
私のプロとしてのポリシーは「フレームの外を想像させる写真を撮ること」です。
例えばパリの風景を描くとき、その全部は描けないので、「これぞパリ」みたいなものを選んで描く。それをどう描くかで、その周りにあるパリの風景まで浮かんでくる。
スポーツ写真も一緒です。切り取るのは一部分に過ぎないが、その切り取った場面から周りを想像させたい。一番プレイヤーの近くにいるからこそ、現場にいることでしかわからないことをどう伝えるか、それにこだわりたい。だから眼の輝き、隆起する筋肉、飛び散る汗、それを強調して撮り続けてきました。でもそんな一瞬、思い描いた写真は滅多に撮れるものではありませんでした。
だが、このα9は違います。これを手にしたとき、自分がスポーツ、写真を通して伝えたいことをもっともっと実現できる、そう思ったとき機材一式をαに替えることに迷いはありませんでした。
いち早くαを使い始めたので、当時周りではαは少数派でしたが、「この良さをまだ知らないんだな」という優越感があったので、本音を言えば周りがみんなαになるほうがイヤだな、と思っていました 笑。それくらい試せばだれでも分かるのでは、という明確な差を感じました。
サーブの直前は葉っぱ1枚落ちても聞こえるくらいの緊張感がある。このようなシーンでもシャッター音のしないサイレントシャッターなら躊躇(ちゅうちょ)なくシャッターが押せる。テニスだけでなく、ゴルフでの撮影にも重宝する機能。AF/AE追随の高速連写が静寂を作品に変える。
機材を入れ替えた当初、ミラーレス専用設計ではないレンズもマウントアダプターなどを介し試してみましたが、AF、画質ともに全然物足りなかったので、レンズも一式揃えました。世の中には「意外と使える」という人もいますし、それは否定しませんが、プロの世界、特にスポーツの世界においては「意外と」ではダメ。多少の出費はあれども、最高の機材で最高の作品を追い求めてこそプロなのです。
テレビや観客席からでは伝わらない瞬間、場面、αでなければ撮れない一瞬は多々あります。私はこれからもこのαで、自分が目指している「フレームの外を想像させる写真」をたくさん撮っていきたいと思っています。
迫力ある瞬間はボールインパクトの瞬間だけではない。インパクト後にボールのフェルトが飛び散る瞬間が現場の臨場感を映し出す。このような構図での撮影はαだからこそ。しかも瞳AFでピントはプレイヤーの瞳を外さない。今までであればこのような作品を狙った場合、フェルトにピントが合いがちだった。
その写真から何を伝えたいか
今では一般の方でも頑張ればトッププロの機材が一式手に入る時代です。観客席でもプロ機材を使う人もたくさん見かけるようになってきました。また例えワンランク下の機材でもプロに匹敵するシーンを撮影し得るようなハイスペックなカメラも増えてきました。
そういった中では尚更、似たような瞬間を狙いがちになってしまいますが、スポーツ写真は「何を伝えたいか」が一番大事で、一般のカメラファンの方もそれを追求すべきだと思います。
撮影場所についても同じです。プロの撮影ゾーンを見ながら「あそこから撮ったらうまく撮れるんだろうな」ではなく、限られた場所でも人と違った視点で、魅力ある写真を追求してください。実際に私は今でも観客席から撮影することも多々あります。カメラが進化しても、結局最後は撮り手の「想い」が大事なのです。
自由な構図からなる、陰と組みあわせたダイナミックな動きの表現の1枚。撮影は観客席から。テレコンバーターを使用したが、AF性能や画質の低下は驚くほどない。αシステムの驚くべき性能の1つでもある。
ライン際の攻防で躍動を感じる1枚でその息遣いまで聞こえてきそう。AF追随の精度とスピード、そして最高約20コマ/秒の高速連写が限りない表現を生み出す。こちらも観客席からの撮影。
鋭い眼光、隆起する筋肉、陰影の美しさ、α9の瞳AFや高速連写性能、画質のクオリティの高さなどが相まって生み出された珠玉の1枚。
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